仮想通貨であるビットコインが少し気になったので、ビットコインの現状について少し考えてみました。
一昔前は、仮想通貨というもの自体の価値観が現在のように公式な通貨として認められていなかったこともあり、世間の見方は否定的なものでした。
実在しない通貨(手にもつことができない)にお金を払って手にするメリットがあるのかと。
ただのテレビゲームやソーシャルゲームの中だけで利用可能なお遊び通貨(まさにモノポリーのおもちゃ通貨のようなもの)ではないか。
どうせ、現実世界でなんにも交換できないただのオタク専用通貨だ。
ほとんどの人がこのように思っていたはずです。
そしてその当時のビットコインの価格です。
今から約6年前あたりの2010年前後で1ビットコインの市場価格はわずか10ドルあたりでした。
それが2016年7月15日現在の価格は、2014年のピークには劣りますが、 1ビットコインは650ドルあたりです。
わずか6年で約60倍の価値になっています。
ここで少し話しはそれますが、通貨や物の価値を考えたとき、その価値には裏付けがあります。
どこの国の通貨でも同じですが、通貨としての価値があるのは、その通貨に対して『信用』と『利便性』 が備わっているからです。
通貨としての役割を果たすためには、大勢の人が共通してその通貨を、他のものやサービスに交換可能な『信頼証書』であると認識することが前提となっています。
日本国内の主要通貨は『円』ですが、これは日本銀行と日本政府が通貨としての機能を保証する『信用』があるために、安心して他のものやサービスと交換することができます。
逆に海外に旅行にいったときに、レストランなどで円で支払いしようとしても利用できません。これは海外で円の『利便性』が備わっていない(つまり現地の人達の円に対する共通価値認識がない)からです。
つまりこの2つの関係からある通貨の価値が相対的に決まるわけです。
話は戻って、ビットコインは以前はこの『信用』(政府の保証)がなく、『利便性』つまり利用できる機会が少ないという理由で価格は低いままでした。
しかし、最近になって、世界各国政府の保証 (通貨として公式に認められる)と実物に交換できるもしくはサービスを受けることができるという利便性が高まり、ビットコインの価格は爆発的に高まりました。
私たちは普段あまりにもお金というものが身近にありすぎて、その本質がわからなくなることがありますが、基本的に『お金=信用』であることには変わりありません。
そして私はこの『信用』は、ある種の 『催眠』であるとも思っています。
上記に書いたように、大勢の信用があって、始めて取引が成り立つわけであり、それぞれが価値があると信じ込んでいる間(催眠がかかっている間)は価値があるわけです。
最近の金価格暴騰の理由はこの『信用』が薄れているからです。
いままで、通貨というものが信用されていたのですが、近年、各国中央銀行による金融緩和政策(新しくお金を刷ること=現在のお金の価値が下がる)によってだんだんと価値のある通貨から『紙切れ』になりはじめています。
ビットコインとゴールドの近年1年間のチャートを見比べてみるとわりと似たような動きになっているのはこのためだと思われます。
ビットコインと金(ゴールド)の共通点は『簡単に増刷できない』ことであり、この2つの間での異なる点は『実物』か『デジタル』かの違いでしょう。
金(ゴールド)のメリットは歴史的に価値のあるものであり、物々交換に利用されてきたという『信用』、一方でデメリットは持ち運びが容易ではなく、売買に手数料がかかることが多い。
ビットコイン(仮想通貨)のメリットは世界各国で共通の価値があり、売買が容易で持ち運びが楽(海外送金など)、一方デメリットは歴史が浅く、価格のボラリティー(価格変動)が大きいことと利用できるサービスがまだ少ない。
と現段階ではこのような感じになっていると思います。
最近少しずつ広がってきている『お金の存在しない社会またはコミニュティー』というのは究極的に通貨というものの価値(信用)がなくなった、つまり紙切れになった状況を想定して生まれたものになります。
いずれにせよ、現在はこの『信用』が危うくなっている状況なので、世界が混沌としているわけです。
0 件のコメント:
コメントを投稿