今回の記事はこのブログの方向性とは全然関係ない自分への問いかけなので、資産関係の情報を探されている方には関係ないものになるのですっとばしてください。
ただ私自身への『思考の記録』のために書いています。
今日は私にとって人生で初となる行動をしました。
『初体験』とでもいうのでしょうか。
その行動とは近所のホームレス(フランス語で"SDF=Sans Domicile Fix"、つまり固定住居なし)へ食料を分けたことです。実は冷蔵庫に食料が必要以上であり、冷凍庫にまわしても自分で消費できる量を超えた食料(賞味期限が当日)があったのでいろいろ考えた結果、近所のホームレスのおじいさんに渡してきました。
私はお金を渡すことは絶対にしないです。お金は自分が働いて稼いだものであり、今の私にはぎりぎりでの生活をしています。幹部でもない私の給料では パリでの生活で家賃、食費、保険代、光熱費、交通費、その他必要諸経費で手元に毎月残っているのは雀の涙ほどです。その雀の涙を数年に一度の日本一時帰国 費にまわすのと将来への個人年金として投資に回しています。
話は戻りまして、食料をホームレスのおじいさんに渡す際に『今日中に食べてね』と伝えたのですが、言葉が通じないのか(フランス人以外の移民?)『Merci, Merci(ありがとう)』の連発でした。そして胸元のネックレスをとりだすとそこには十字架のオブジェがくっついていました。たぶんカトリックの方なのかなと想像してあとをさりましたが、いろいろ考えさせるものでした。
世の中にホームレスのような弱者は世界のどこにもいます。このクラスの人達は家もない食料もない健康保険もないいわば現代のIDの組織にはカウントされていない状況に近いと思います。
一方、お金が余ってわけのわからない浪費を行っている世界のトップクラスの人もいます。
弱者は彼ら自身が悪いのでしょうか。なにか悪い行いを過去に行ったからこういう状況になったのでしょうか。
お金を稼ぐ能力の高い人は今日すごい人と思われているのが現状だと思います。今日ソーシャルネットワークの発達のおかげで私たちは多くの情報を得ることができ、それぞれの理念や思考を共有できるようになりました。
現在までは『暗黙の了解』のようなことが非常に多くあり、またそれらが現代の社会を支配しています。
環境に悪いがビジネスで儲けるために行う、相手から優位にことをすすめるために武力を装備する、エゴを満喫するためにはどんな手を使ってでもお金を稼ぐ。
お金持ちになる理由で他の悪い集団に関わらなくてもいい環境に住む、または社会的地位を築きたいという人はかなりいると思います。
自分もそういう考えで資産運用を行っています。
しかし冷静に考えたときに格差が広がれば広がるほど私たちの求めている『安心』という社会からどんどん離れていくように思えます。
貧困層はこれからますます増えるでしょう。環境破壊はさらに広がり、大きな自然災害となって私たちに返してくるでしょう。
このような状況で総人口の大部分を占める貧しい弱者達が静かになにもしないで終わりを待つようなことはないでしょう。
お金持ちがどれだけ高く掘りを作っても周りの環境が変らない限り安心など手に入らないのです。
お金持ちはお金持ちの悩みもあるそうですし(婚姻、遺産相続など)一般庶民よりも悩み事は多い気がします。まあ、私自身はそういう環境になったことがないのであくまで推測ですが。
食べ物を廃棄するという行為は私自身の中では犯罪に近いくらいの行為です。大げさのように思えますが、その食べ物を作るためにどれだけの土地、環境施設、移送費など費やされているのでしょう。
お金をだせばすぐに買えてしまう時代ですが、その過程をしっかりと考えなければいけないと思います。その過程を考えることによって初めてなにがよくてなにが悪いかという基準がみえてくると思います。
余ったものは分け合う、自分たちで消費しきれないものをまず作らない、買わないということでしょうか。
無駄を少なくすることがお金持ちへの近道にもなり、自然保護にもなるのであればいいことですね。
政府が頼りにならないときは自分たちの行動で変えるしかないので、小さいながらもより人間らしい社会への社会貢献は自分のできる範囲で今後も行えればと思っています。
ただ私自身への『思考の記録』のために書いています。
今日は私にとって人生で初となる行動をしました。
『初体験』とでもいうのでしょうか。
その行動とは近所のホームレス(フランス語で"SDF=Sans Domicile Fix"、つまり固定住居なし)へ食料を分けたことです。実は冷蔵庫に食料が必要以上であり、冷凍庫にまわしても自分で消費できる量を超えた食料(賞味期限が当日)があったのでいろいろ考えた結果、近所のホームレスのおじいさんに渡してきました。
私はお金を渡すことは絶対にしないです。お金は自分が働いて稼いだものであり、今の私にはぎりぎりでの生活をしています。幹部でもない私の給料では パリでの生活で家賃、食費、保険代、光熱費、交通費、その他必要諸経費で手元に毎月残っているのは雀の涙ほどです。その雀の涙を数年に一度の日本一時帰国 費にまわすのと将来への個人年金として投資に回しています。
話は戻りまして、食料をホームレスのおじいさんに渡す際に『今日中に食べてね』と伝えたのですが、言葉が通じないのか(フランス人以外の移民?)『Merci, Merci(ありがとう)』の連発でした。そして胸元のネックレスをとりだすとそこには十字架のオブジェがくっついていました。たぶんカトリックの方なのかなと想像してあとをさりましたが、いろいろ考えさせるものでした。
世の中にホームレスのような弱者は世界のどこにもいます。このクラスの人達は家もない食料もない健康保険もないいわば現代のIDの組織にはカウントされていない状況に近いと思います。
一方、お金が余ってわけのわからない浪費を行っている世界のトップクラスの人もいます。
弱者は彼ら自身が悪いのでしょうか。なにか悪い行いを過去に行ったからこういう状況になったのでしょうか。
お金を稼ぐ能力の高い人は今日すごい人と思われているのが現状だと思います。今日ソーシャルネットワークの発達のおかげで私たちは多くの情報を得ることができ、それぞれの理念や思考を共有できるようになりました。
現在までは『暗黙の了解』のようなことが非常に多くあり、またそれらが現代の社会を支配しています。
環境に悪いがビジネスで儲けるために行う、相手から優位にことをすすめるために武力を装備する、エゴを満喫するためにはどんな手を使ってでもお金を稼ぐ。
お金持ちになる理由で他の悪い集団に関わらなくてもいい環境に住む、または社会的地位を築きたいという人はかなりいると思います。
自分もそういう考えで資産運用を行っています。
しかし冷静に考えたときに格差が広がれば広がるほど私たちの求めている『安心』という社会からどんどん離れていくように思えます。
貧困層はこれからますます増えるでしょう。環境破壊はさらに広がり、大きな自然災害となって私たちに返してくるでしょう。
このような状況で総人口の大部分を占める貧しい弱者達が静かになにもしないで終わりを待つようなことはないでしょう。
お金持ちがどれだけ高く掘りを作っても周りの環境が変らない限り安心など手に入らないのです。
お金持ちはお金持ちの悩みもあるそうですし(婚姻、遺産相続など)一般庶民よりも悩み事は多い気がします。まあ、私自身はそういう環境になったことがないのであくまで推測ですが。
食べ物を廃棄するという行為は私自身の中では犯罪に近いくらいの行為です。大げさのように思えますが、その食べ物を作るためにどれだけの土地、環境施設、移送費など費やされているのでしょう。
お金をだせばすぐに買えてしまう時代ですが、その過程をしっかりと考えなければいけないと思います。その過程を考えることによって初めてなにがよくてなにが悪いかという基準がみえてくると思います。
余ったものは分け合う、自分たちで消費しきれないものをまず作らない、買わないということでしょうか。
無駄を少なくすることがお金持ちへの近道にもなり、自然保護にもなるのであればいいことですね。
政府が頼りにならないときは自分たちの行動で変えるしかないので、小さいながらもより人間らしい社会への社会貢献は自分のできる範囲で今後も行えればと思っています。
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